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Friday, February 26, 2021

チャジャン麺、もともとは高級料理だった - 東亜日報


「壬午軍乱とチャジャン麺」あるいは「朴正熙(パク・チョンヒ)とチャジャン麺」。チャジャン麺と関係がなさそうに見える歴史的事件と人物だが、実はそうではない。1882年、朝鮮の旧軍兵士が起こした壬午軍乱で守勢に追い込まれた明成(ミョンソン)皇后の勢力は、再び政権に就いた興宣(フンソン)大院君に対抗して清を引き入れる。

仁川済物浦(インチョン・チェムルポ)に入ってきた袁世凱の清軍は、大院君を捕らえた後、朝鮮を属邦にする条約を迫る。当時、経済利権侵奪のために清は商人や労働者を大挙朝鮮に送ったが、この時、彼らが持ってきた中国の料理がチャジャン麺の原型といえる「炸醤麺」。韓半島に近い山東省の料理である炸醤麺は、小麦粉の麺に春醤をまぜて簡単に食べることができる安価な料理だった。

同書は、韓国の代表的な庶民料理であるチャジャン麺、キムパプ、豚カツ、カレーライスなどの起源を近現代史と結びつけて興味深く紹介する。これらの料理の共通点は、日本による植民地支配期に輸入され、すぐに韓国化された「近代化」の産物ということだ。著者は、数冊の小説を発表した作家らしく植民地時代の朝鮮人記者のキャラクターによる話で各章を始める。引き続きここに登場する料理など主な素材を歴史資料を通じて説明する。

朴正熙とチャジャン麺の相関関係を明らかにする段になった。植民地支配時代、「清料理店」と呼ばれた中華料理店は、重要な行事が行われる高級料理店だった。中国華僑は、数人が金を集めて共同投資する方式で大型の料理店を開いた。しかし、朴正熙政権は1962年、大金を保有する華僑を狙って貨幣改革を実施する。

そして、外国人の土地所有まで禁止すると、経済的打撃を受けた多くの華僑が米国や台湾に移住することになる。これにより、高級清料理店は次第に町の小規模の中華料理店に縮小する。高級料理とされたチャジャン麺など中華料理が庶民料理に変貌したきっかけだ。著者は、「チャジャン麺を通じて料理の歴史が政治権力と関係していることがうかがえる」と指摘した。

金相雲 sukim@donga.com

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