■サバの有効活用法 中南米を旅したあと、北欧に飛んだら物価にめまいがした。 そこで、ノルウェーの海岸部に入ってからは毎日のように釣りをした。幸い、南紀白浜生まれで幼い時から釣りばかりしていたおかげで、ずぶの素人よりは技術がある。この世界自転車旅行でも各地で釣りをしてきた。ただ、これまでは娯楽の面もあったが、北欧では本気だ。自転車をこぐために必要に迫られている。貴重なたんぱく源の魚はいわばガソリンなのだ。 U字谷に海が入りこんだ地形――いわゆるフィヨルド――の海にルアーを投げるとサバやタラがよく釣れた。煮付け、味噌煮、ソテーと日替わりでいろんなものをつくり、余った魚は自転車にくくりつけ、干物なんかもつくったりしたが、最も満足度の高かった料理はサバの潮汁だった。釣れたてをぶつ切りにし、ありあわせの野菜と似込む。調味料は塩だけ。北の海で育ったサバのコクと野菜の甘みが汁に溶け出して、すすった瞬間笑ってしまう。優れた素材はシンプルに調理するのがいい。 ある日、ロフォーテン諸島に渡った。 「アルプスの頂を海に浮かべたよう」と形容されるとおり、のこぎり状の山々が海から飛び出している。カーブを曲がるたびに山と海が形を変えて現れ、息を呑んだ。 島の終点に着くと、キャンプするのにうってつけの海岸が現れた。地面は天然の芝で覆われ、目の前にはフィヨルド特有の地底湖のような張りつめた海が広がっている。 テントがふたつ張られてあった。有料のキャンプ場だろうか? ひとつのテントに近づいていくと、若い女性が芝生に寝転がって本を読んでいた。 「ちょっといいかい?」 声をかけると、彼女は振り返り、にっこり微笑んだ。 「ここ、有料なの?」 「うーん、キャンプ場じゃないと思うけど。私も勝手に張ったからよくわからないの」 彼女はたどたどしい英語ではにかみながら話す。 「どこから来たの?」 「ハンガリーよ」 野宿しながら旅しているという。先日会ったポーランド人女性を思い出した。その彼女も一人でテントを担ぎ、しかもヒッチハイクで旅をしていたのだ。 東欧の若者が北欧を旅しようと思ったら節約しなければならないのだろうが、なんともたくましい。 ハンガリー人の彼女は、鳶色の瞳で僕の目を覗き込むように話した。途中からなんだか照れてしまい、相手の目を直視できなくなった。 彼女から少し離れたところにテントを張ると、釣竿を持って海に向かった。 ルアーを投げていると、何投目かにガツンと大きな手ごたえが来た。糸がキューンと鳴り、竿が弓なりに曲がる。しばらくして上がったのははち切れそうなぐらいまるまる肥えたサバだった。測ってみると47cmもある。 さらにルアーを投げると、すぐに強い当たりが来て、今度は43cmのサバが釣れた。 さすがに全部は食べられそうにない。どうしようかな、と考えているところへ、ポン、と啓示がおりてきた。 サバを持って、さっきの女性のテントに向かった。節約のために一人で野宿をしているぐらいだ。このサバは最高のプレゼントになるに違いない。「え?」と目を輝かせる彼女の表情が脳裏に浮かんだ。 「この立派なサバ、あなたが釣ったの。まあ素敵。えっ、もらっていいの?でも悪いわ。そうね。じゃあよかったら一緒に食べない?私のテ、ン、トで」 「いえ、僕はそんなつもりでは。でも、そう?じゃあ、ちょっとお邪魔しようかな」 って、いやまいったなこりゃ。僕の目を覗き込むように見つめていた、さっきの彼女の鳶色の瞳が、サバを握る僕の手を固くした。 彼女は相変わらずテントの前で本を読んでいた。僕はできるだけ自然、かつさわやかな笑顔で声をかけた。 「やあ、調子はどうだい。うん、僕も絶好調だよ。ところでこのサバ、今そこで釣ったんだけど、よかったらどう?」 彼女は目の前に差し出されたまるまる肥えたサバを見て、口を半開きにしたまま固まった。そのとき、彼女の背後のテントが開き、長髪の男が眠そうな顔を出した。そして僕が手にしているサバを見て、彼女と同じようにポカンとした。僕もポカンとした。彼らは顔を見合わせ、この東洋人は何がしたいんだ?とでも言いたげな困惑した表情を浮かべ、そのあと彼女のほうが困った顔のまま言った。 「……ありがとう。でもこれ、どうやって料理するの?」 ぶつ切りにして、お湯で煮ればいいよ。塩を入れてね。僕はそれだけを言うとすばやくきびすを返し、自分のテントに戻った。そして、サバをぶら下げて立ち尽くしていた先ほどの自分を思い返しながら、肩を揺らして笑った。 しかし、彼女もサバでナンパされたのは初めてだろうなあ。ハンガリーには海がないから(いや、問題はそこじゃないような……)。 文・写真:石田ゆうすけ
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