イタリアの北東に位置するフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州では、まるで時間の流れが止まっているような感覚を覚えることがある。フリウリの西にはヴェネツィア、東には隣国のスロヴェニアがある。欧州のちょうど真ん中にあたるこの地には、なだらかな丘陵や森林、ぶどう園が広がり、いくつもの川の流れがある。
あまり知られていないが、この一帯は由緒ある土地柄だ。「フリウリ」という名は、かつての為政者であるユリウス・カエサルに由来する。フン族の王アッティラが本拠とし、作家のアーネスト・ヘミングウェイが滞在したこともある。豊かでありながら素朴なフリウリの食の伝統には、ゲルマン文化、ラテン文化、スラヴ文化の影響が垣間見え、それぞれが融合して無二の特徴をかたちづくっている。
異なるものを調和させて新たなものを生み出すこの土地に魅了され、創造力をかきたてられている人物がいる。イタリアでその名を馳せる料理人、アントニア・クリュグマンだ。
州都トリエステ出身の彼女が手がける料理は、独特の精彩を帯びている。移ろう季節をとり込み、誠実でありながらも情熱的な表現が特徴だ。感涙しそうなほど心を揺さぶられる客も多いという。
彼女の料理は、この土地を感じさせる要素に溢れている。ミシュランの星も獲得した彼女のレストラン「ラルジネ・ア・ヴェンコ(L’Argine A Venco)」は、17世紀の製粉所の建物を利用している。2014年のオープンに際してリノヴェーションされ、16席が設けられた。
日常の美への賛歌
この店のすべての要素はクリュグマン自身の多様なバックグラウンドに結び付いている。医師である両親の娘として生まれ、オーストリア系ユダヤ人とイタリア最南端プーリア地方の家系の血を引いている。
クリュグマンが料理に目覚めた時期は決して早くはない。この世界に入ったのは、大学で3年間法律を学び、優秀な成績を修めたあとのことだった。持ち前の揺るぎない強さを物語る思い切った決断である。それ以来、後ろ髪を引かれることなく料理の道を突き進んできた。
そして皿洗いから始めた2年間の修行生活を経て、有名シェフのブルーノ・バルビエリに師事している。2006年には最初のレストラン「アンティコ・フォレドール・コンテ・ロヴァリア(Antico Foledor Conte Lovaria)」をオープンし、脚光を浴びることになった。
「わたしは誰かのスタイルを追いかけることはしません。わたしなりのやり方でやっています」と、クリュグマンは言う。飾らず、奇をてらうこともない。クリュグマンの生み出す料理は、日常の美への賛歌なのだ。
創造性の核にある「変化」の源
ラルジネ・ア・ヴェンコの支配人でもある妹と近くの空き地にタンポポを摘みに出かけたときのことだ。クリュグマンは、「稀少だから貴重であるとは思わない」と口にしていた。
伝統的なイタリア料理の枠から飛び出しながらも、彼女のメニューにはオキスズキ、アンチョビ、自ら丁寧に手入れした菜園で採れたエルサレム・アーティチョーク(キクイモ)など、イタリア料理らしい食材が使われることもある。しかし、彼女の創造性の核にあるのはやはり「変化」である。
彼女自身、メニューには自らの先進的な気質が表れていると考えている。「日々進化すること、前に進んでいくことが大切だと思います」と、クリュグマンは語る。
さまざまな要素が絡み合うクリュグマンの料理をひも解いて見えてくるもの──。そのひとつは、食品ロスを出さず、食材を余すことなく活用しようという決意とその実践だ。
魚をはじめ、花、果物の種、茎、根に至るまで、地元産の食材を隅々まで使い、際立つ独特の味わいを生み出す。クリュグマンはたびたび、数多くある近郊の廃村を巡りに出かけたり、若手の女性農家や、1895年から続く家族経営の小麦の製粉所など、取引のある地元生産者のもとに出向いていったりする。
こうした地元での癒しのひとときのなかで、インスピレーションが生まれる。「LEXUS ES」でダイナミックに疾走するクリュグマン。彼女の料理はフリウリの伝統的な食文化にしっかりと根を張りながら、どこまでも前へと進み続けるのだ。
[ Journeys In Taste|LEXUS ]
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