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Tuesday, December 7, 2021

人生第2ラウンド。京都で見つけた自分をいたわる暮らし方 - 朝日新聞デジタル

〈住人プロフィール〉
アルバイト(有機野菜販売会社のまかない担当)・31歳(女性)
賃貸マンション・2LDK・京都線 桂川駅(京都市南区)
入居2年・築年数26年・夫(保育士・33歳)との2人暮らし

    ◇

 短大卒業時は、就職氷河期まっただなか。
 「選んでいられない、考える余裕などまったくなくて、一般職ならどこでも、内定をもらえるだけでありがたいという時代でした」

 よく日の差し込む明るい部屋で、彼女は述懐する。そんな状況なので、幼い頃から料理や食まわりに興味があったが、仕事という観点で考えたことがなかった。幸い、建設系の企業に入社、経理業務に9年間打ち込んだ。その間に保育士の彼と結婚。東京・大田区の二間のコーポで生活を営む。

 「京都に住んでみたいな」
 関西出身の友達がいて、関西に親しみはあったが京都に知り合いはいない。9年間ひとつの職場で頑張り、暮らしの環境と働き方を大きく変えたいと思った。ではどこに住むかと考えたとき、憧れも手伝って京都がまっさきに浮かんだと言う。

 「彼もすんなり賛成してくれたんです。保育士で、どこでも働く場所があるので。お互いに東京暮らしに疲れていたのかもしれませんね。満員電車、家賃の高さ、どこへ行っても並ぶし、人も情報も多い……。何より私は座っている仕事より、動く仕事がしたくなって。そのほうが向いているなって」

 それまでフルタイムで働き、満員電車で帰宅するとくたびれ果てていて、大好きな料理をゆっくりする気持ちになれなかった。
 恵まれた職場だった。だが、これからは自分の内側と向き合い、生活や人生の質を高めたい。当時の心境を、彼女はこう表現する。
 「30を前に、自分をかまいたくなったというか、大切にしたくなったんです」

 予算に合う住みやすい場所をリサーチし、桂か伏見で物件を探した。
 「町家とか憧れたけど、高いし物件も少ないし。とても手が届きませんでした」
 今の住まいは、天井の高い角部屋のペントハウスだ。大きな窓から日がさんさんと降り注ぎ、開放感がある。
 「東京の家も間取りは似ていたんですが、家に囲まれ暗くて窓が一つしかなかった。だから印象も住み心地もぜんぜん違うんです。ここは窓の光や、古いけどシンクが広くて収納がたくさんある台所を気に入って。それに家賃もぐっとお安いんです」

 飲食にまつわる仕事をやろう。そう決めて動き始めた矢先、ウイルスが出現し街から人が消えた。

料理や家事で今日やることの覚書

移住後まもなくコロナ禍に

 「こちらにまだ友達がいないときでしたから、家のことをやるしかなかった。でもそれがよかったんです。東京ではなかなかできなかった家事や料理をじっくりやれた。漬物、梅干し、レモンシロップ、オレンジシロップ、自家製タバスコや麹(こうじ)のタレ作り。保存食作りに熱中しました。コロナで人のいない京都を体験できたのも貴重ですね」

 働き方、暮らし方を変えたいと願って転居した彼女に、コロナ禍は不意にかけがえのない暮らしの充実をもたらした。また、食生活を見直し、食材や加工品について考える好機にもなった。

 「近所に八百屋さんがないこともあり、せっかく料理するなら自分でちゃんと選びたい、野菜やお米にもこだわってみたいと、坂ノ途中の宅配野菜を取り始めたんです。するとみずみずしくて、おいしくて、見たこともない野菜が届いて、ますます料理が楽しくなった。調味料もいいものを使うと格段に仕上がりが違う。自分で作ると、ああ、あのおしょうゆを使ったから、おいしくなったんだなと分析できる。その工程もワクワクします」

 夫はもともとたくさん食べる人だ。「めっちゃおいしい!」と言われるのはもちろんうれしいが、料理の工程の「こうしたらどうかな、あれを加えたらどうだろう」というワクワクにも大きな充足を感じる。

 「“まかない募集。我こそはという方はご応募を”というのを、たまたま坂ノ途中のホームページで見つけて、我こそはと思ったので連絡しました。とにかくおいしい野菜を使って、大量調理というのをやってみたかったんです」

 現在はおにぎり店スタッフと、同社社員のまかない料理を仕事にしている。
 じつは、“大量調理”には忘れがたい思い出がある。

吊(つ)り棚はコップの水切りなどに活用

原点は祖母と山里の食卓

 父親の実家は長野県の天竜峡という山里だ。盆や正月に訪れるたび、座卓いっぱいに並ぶ大皿料理に圧倒され、心を奪われた。
 「五目煮、豚の角煮、ゆで卵の輪切りがのったフレッシュサラダ……。色とりどりで本当にきれいなんです。地元で採れた野菜のおかずもたくさんあって、テーブルに並びきらないくらい。そのもてなしかたに感銘を受けました。毎年行くのが楽しみで楽しみで。小学校のときは、その家で包丁を買ってもらい、お願いして手伝わせてもらいました」

 このとき、新鮮な食材でたくさん作る気持ちよさを味わった。
 また、社会人になるまで同居していた母方の祖母の料理が今も心にある。

 「とにかくお料理が全部おいしかった! 母が働いていたので、台所は祖母のテリトリーでした。あそこで、いったいどうやってこんなおいしいものを作ってるんだろうと気になってしょうがなかったけど、テリトリーを邪魔しちゃいけないって、遠慮してましたね。ぬか漬け、煮物、炒めもの。だいたい茶色いおかずばかりで味付けが濃いんだけど、ご飯がすすむ。品数も多くて、たっぷりあって毎日楽しみでした」

 その影響で今、自宅の食卓は必ず最低4品作る。メイン、すっぱいもの、焼き野菜、炒めものか和(あ)え物どちらかが基本だ。そして、1品に野菜を数種使う。彼女いわく「名前のないおいしいレシピは、まかないのお仕事のおかげでどんどん増え続けています」。

 まかない料理のほうは、B級品や割れたり食べどきを逃したりした残り野菜が材料だ。食材は、朝8時半に出社してからわかる。
 そこからは時間との戦いだ。12時のランチまでは40~50人、多いときは60人分をふたりで作る。

 「大変ですけど、制限時間内で工夫して考えながら作るのがものすごく楽しいです。旬の季節は同じ野菜が続きます。それをいかに味付けや作り方を変え、飽きないメニューに変身させるか。大きなボウルにわっさーと野菜を入れ混ぜたり和えたり。それをぺろっときれいに食べ尽くして、なくなるのもまたうれしい」

 素材がたしかなものは、大きく手をくわえなくてもちゃんとおいしくなる。いい調味料も同じだ。彼女はそれを「得ですよね」と語る。
 「野菜は生にオイルをかけるだけ、焼いて塩を振るだけで一品になる。自分の力がなくても、いろんなものに助けられてうまくできる。私の料理も、毎日助けられてばかりです」

 食材への畏敬(いけい)さえ感じられるような、澄んだまなざしの彼女からは、「楽しい」という言葉が何度も出た。京都移住2年目。内側の充実がありありと伝わるおいしそうな台所だった。

文・写真:大平一枝
この記事は、坂ノ途中の協力を得て、取材・制作しました

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人生第2ラウンド。京都で見つけた自分をいたわる暮らし方
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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)など多数。記事のご感想・メッセージはこちらへ

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