本作は作中で描かれるプリンやクリームソーダのような甘い物語ではない。ゴーヤのように苦い場面から話は始まる。
主人公の美由起は38歳。小学5年女子を育てるシングルマザーである。地方のデパート、マルヨシ百貨店に勤めているが、仕事で失敗したため、まったく経験のない大食堂マネージャーに異動となったばかりだ。
そこへ高級ビストロや一流ホテルのシェフを経験した凄腕の料理人である智子が料理長として赴任してくる。彼女は大食堂のなにもかもが気に入らない。自分の腕を見せつけ、伝統あるレシピに次々にてこ入れする。
ここまで読んだときに僕が予想した方向とは、まったく違う軌跡で物語は展開してゆく。
百貨店の大食堂。僕には無性になつかしく、遠い記憶のかなたにある存在である。オムライスにナポリタン、エビフライ…いずれも自分の家で食べたことのない料理だ。だが、いまも近所のレストランでこれらの料理をよく頼む。僕には大食堂メニューは第二のおふくろの味だ。本作には、僕の世代を悩殺するそんな料理が次々に登場する。
だが、著者は登場人物にも読者にもノスタルジーに浸ることを許してはくれない。大食堂はレトロな価値観をアイデンティティーとしなければならない。一方で、その甘さに留(とど)まることには客からもダメ出しされる。美由起たちは古い魅力と新しいセンスのバランスを要求される。みんなで苦しみながら懸命に調理して課題をクリアするなかで、メニューも人間関係もすぐれたものに変容してゆく。
料理人やスタッフは誰もが一癖ある人間たち。美由起は最初は彼、彼女らの本当の姿に気づけないでいる。メニューが改良され、美由起のおなかが鳴る度に、化けの皮が剝がれて登場人物の魅力が輝くのだ。
この人間描写と調理描写は実に素晴らしい。坂井希久子の筆の巧みさにうなるところだ。
実は本作は愛の物語なのだ。仕事への愛、職場への愛、同僚への愛、客への愛、子供への愛、何よりも料理に対する愛が真摯(しんし)に描かれる。豊かな愛に包まれる心地よさを味わえる。
愛にあふれた最上階の大食堂へ運んでくれるエレベーターにぜひとも乗っていただきたい。(双葉社・1760円)
評・鳴神響一(小説家)
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