その晩、妻の両親が振る舞ってくれたすき焼きが、生稲氏の心を大きく動かすことになる。肉は精肉店で買ったものだが、最上級の山形牛。卵は実家で飼っている烏骨鶏の生みたて、野菜は裏の畑で採れた春菊やネギと、食材はどれもこれも、この土地で育まれたものばかり。東京の高級店でも滅多に食べることができない、ぜいたくなすき焼きだった。
東京のレストランでは、生稲氏はそれこそ毎日のようにフォアグラやキャビアといった高級食材を扱っていたが、食材はどれも遠くから運ばれてくるものだった。それがここでは、とびきりおいしい新鮮な食材が、身近にこんなにも豊富にある。
「それまで僕はずっと、東京が一番だと思ってたんです。高級品でも何でもあるしって。でもそのとき、本当にぜいたくなのは“こっち”じゃないかと思いました。金銭的、物質的な豊かさではなく、命の根源的な豊かさというのか。都会では感じたことのない、本当の豊かさをこの場所に感じたんです」
以来、生稲氏は山形をたびたび訪ねるようになる。行くたびに食材への興味が膨らみ、すぐそこの畑で採れたものが食卓に上る田舎の暮らし、食材の宝庫のような山形にも惹かれていった。
「山形に通ううちに、自分の場所は、実は東京よりも“こっち”なんじゃないか。そう思うようになりました」
都会で料理人を続けていく中で引っかかっていたものが取れ、心を固めるまでに時間はかからなかった。生稲氏は行動に出る。
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