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Friday, February 14, 2020

しんどいときは一汁一菜に頼ってきた|料理ができない!うつ病が教えてくれた家事の意味(幻冬舎plus) - Yahoo!ニュース

阿古真理 (作家。生活史研究家。)

うつで寝込んでいた時期を過ぎ、料理ができるようになり始めた頃のこと。何をつくったらいいか、あまりアイデアが浮かばないので、一汁二菜の和食のワンパターンにしていた私が、もう一つ頼った料理が、具だくさんの汁もの1品だけの一汁献立だった。

その後7、8年経った2016年に出たのが土井善晴氏の『一汁一菜でよいという提案』である。具だくさん味噌汁と漬物という献立の提案で、家事の省力化を求めるムーブメントにのり、12万部を超える大ヒットとなった。そのとき私は「そんなに世の中の人たちは、おかずを何品もつけなければいけないと思っているのか」と驚いた。 

私なんて一菜すらつけていなかったのに。私の周りのアラフィフ世代も驚いていた。もしかすると、ベテラン世代は人生の艱難をくぐり抜けるうちに手抜きという知恵を身に着けたが、若いうちは、「正しい献立」に縛られがちなのかもしれない。私はもとからいい加減なのか、病気になる前も、そして回復した後も、困ったときや面倒なとき、一汁献立に頼っている。

よくつくったのは、具だくさんの味噌汁だ。冬場は豚汁。キャベツやニンジン、サツマイモ、シメジ、ゴボウのささがきなどと豚小間肉。安い材料ばかりを投入する。

いつも買いものに行く商店街のそばに、こだわりの地酒を置く酒屋があった。冬になると銘柄酒の酒粕をどーんと塊で500円、という大安売りをする。そこで年末に1袋買って3分の2を粕汁好きの義父母へ送り、私も東京で粕汁にする。粕汁は関西人にとって、冬の風物詩なので。

ニンジン、大根、ゴボウ、鮭のアラ、サトイモ、油揚げ、シメジ、コンニャクなどを入れる。野菜が煮えたら、酒粕と味噌を溶き入れる。鮭のアラの替わりに豚小間肉を入れる場合もある。味噌でなく、酒粕に酒と醤油を加えて味つけすることもある。このタンパク源と味つけのバリエーションで、違う粕汁を2~3回つくる。

考えてみれば、この料理は手間がかかる。何しろ、何種類もの具材を細かく切り、ゴボウはささがきにしてあく抜きもしなければならない。

酒粕を溶き入れるのも手間だ。何しろ固まってしまった酒粕は、なかなか汁に溶けていかない。それなのに、粕汁は何度もつくった。

洋風の汁ものにすることもある。具だくさんスープで、春秋はミネストローネ。冬は、トマト缶入りの鶏のシチュー風、クリームシチュー。シチューには、タマネギ、ジャガイモ、ニンジン、シメジを入れる。使ったことがないシチューのルウは使わない。クリームシチューは、バターで鶏肉とタマネギを炒め、ほかの野菜を投入してから小麦粉を加え、全体にまぶしたら、少しずつ牛乳を加えていく。

そういえば、冬に煮もの1品献立もよくやった。ニンジン、サトイモ、レンコン、大根、シイタケ、鶏肉または豚肉。生のサトイモを買うのは、夫が冷凍サトイモは味がないと嫌うからだ。昔、先に茹でてから皮をむくと手がかゆくならない、と聞いたので、まず水を張った鍋に入れて沸騰させて火を止め、お湯を捨ててしばらく置いてから皮をむく。ひと煮立ちさせると、つるんと皮がむきやすくなるものの、ごつごつして形が悪いし、ぬめりもあって手が滑るし、めんどくさい。

めんどくさいなと思いつつ、同じ料理しか思いつかないので、結局八百屋で煮ものの材料を買う。あんまりヘビロテするので、3月頃には、サトイモの顔を見るのも嫌、という状態に陥っている。それでも、まだ新しい顔ぶれの野菜が店頭で少ないので、また買ってきて、すっかり飽きた味の煮ものを食べる。

あの頃あんまりヘビロテしたので、そういえば、最近年に2~3回しか使わないサトイモの皮むきをすると「あらもうできた」と自分で驚く。すっかり手早くなっているのだ。

あの頃、もうとにかく献立を考えるのが大変で、アイデアがないので、少ないレパートリーで回していた。しかし、10年ぐらい経って生活もずいぶん変わった今、列挙してみると、素材の種類も多いし、下処理に手間がかかるものも多いし、めんどくさい料理ばかりではないかと気がつく。

なぜ、1品だけとはいえ、しんどいのにめんどくさい料理を一生懸命つくっていたのか。まずは、暇だったから。ご飯が炊けるのに1時間ぐらいかかることもあって、料理にかける時間は1時間ぐらい、と思っていた。特に手間がかかるものをつくるときは、1時間半ぐらいはみておく。今はふだんなら、炊飯器をセットした後、一仕事だけ、とパソコンに再び向かい、料理は20~30分ですませることも多い。

もう一つの理由は、高校時代にときどき台所を任されていたことだ。あの頃、母親がパートに出るようになって、週に2~3回、頼まれて料理することがあった。

レパートリーがほとんどなかった私は、「コンソメスープ」と呼んでいた、ニンジン・ジャガイモ・タマネギのスープをよくつくった。父のリクエストで、ベーコンを浮かべることもあった。これは全部細かく切っていて、そういう数種類の具材を使うスープを当たり前だと思っていた。

たぶん要領も悪く、メインの肉とつけ合わせ、スープをつくるだけで1時間たっぷりかかっていた。だから、夕食の準備は1時間かかるものだと思い込んでいたし、そのぐらい時間をかけることで「ちゃんと料理している」という気分を味わっていたのだ。

子どもの頃や若い頃の体験は、なかなか強烈で、好き嫌い、得意不得意に対する思い込みの多くが、人生経験がほとんどない頃に刷り込まれたままになりがちだ。最初に食べたときに、おいしくないと思った、まずかった食べものを、あるとき人にすすめられて食べたらおいしかったとか、ずっと苦手だと思っていたことを、大人になって必要に迫られてやってみたら案外ちゃんとできたとか、そういう体験はないだろうか。

私は結構たくさんある。ミョウガとか山椒とか、子どもの頃は香りが苦手だったのに、大人になって、人にすすめられて食べてみたら案外おいしく、今やすっかり好きなものの仲間入りをしている。苦手だと思っていた数字も、必ずしも苦手ではないし、英語も読めないと思っていても、海外旅行をすると数日のうちに英文が読めるようになったりする。めんどくさいから苦手だと思っていても、必要に迫られればできるようになる。料理も同じだ。

私はあの頃、「ちゃんとしている」感を抱きたくて、もしかすると手間がかかる料理をしていたのかもしれない。料理をしている自分を、料理ができるようになった自分を認めたかったのだ。そして、面倒なサトイモの皮むきをやめて、別の料理を考えることのほうが、サトイモの皮をむくより当時の私にとって大変だったのである。

■阿古真理(作家。生活史研究家。)
1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部総合文化学科(社会学)を卒業後、広告制作会社を経てフリーに。1999年より東京に拠点を移し、食や生活史、女性の生き方などをテーマに執筆。著書に『昭和育ちのおいしい記憶』『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食卓』『昭和の洋食 平成のカフェ飯 家庭料理の80年』『「和食」って何?』『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』『料理は女の義務ですか』『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか パンと日本人の150年』『パクチーとアジア飯』『母と娘はなぜ対立するのか 女性をとりまく家族と社会』など。

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