いつもと違う場所で風に吹かれた経験は、折に触れて思い出すもの。そんな旅の思い出を各界で活躍するみなさんにうかがう連続インタビュー「心に残る旅」。第15回は、30カ国以上を旅して世界の家庭料理を学んだ経験を持ち、3児の父親として子育てに奮闘する料理研究家のコウケンテツさんです。(文・中津海麻子)
【トップ画像】一番右は、満面の笑みのコウさん。ベトナムで出会った家族とともに撮影
フィリピンで出合った家庭料理が、旅メシの原点に
――これまで30カ国以上も旅をされたそうですね。
「僕はもともとインドア派で、実は海外旅行にもほとんど行ったことがありませんでした。赤ちゃんのころに母の出身地である韓国の済州(チェジュ)島に里帰りしたぐらい。もちろん記憶はありません。料理研究家になってから世界の、特にアジアの食を訪ねる旅の仕事をいただくように。旅人としてはかなりの遅咲きなのです(笑)。ただ、旅慣れていない分、余計な先入観などがなかった。へき地や少数民族の村などに飛び込み、現地の家族と交流させてもらえたのは、旅の経験がなかったことがよかったのかもしれません」
――心に残る旅は?
「フィリピンの旅です。仕事を始めてまだ初期のころ、『天国への階段』と称される世界遺産の美しい棚田がある北部のバナウエへいきました。その地域では、山に湧く水を田んぼに引き、鍬(くわ)や鋤(すき)を使いすべて手作業、さらに完全無農薬と、なんと2000年前から変わらない手法で米を栽培していました。急斜面にある田んぼに沿うように立つ小さな小屋で暮らす農家に数日ですがホームステイさせていただきました」
「一家は12人の大家族で、生活のためにお父さんのジャニさんは農閑期には出稼ぎに行っていました。持病のあるお母さんに代わって食事の支度や下の子の面倒を見ていた15歳の長女・サリーンちゃんをはじめ、子どもたちはみんなで家業のお手伝いに大忙し。友達と遊びたい年頃なのに辛くはないのかな、と思っていたけど、みんな輝くような笑顔を見せてくれました。『どうしたらそんな笑顔ができるの?』と聞きたくなるほど、屈託がなく無垢(むく)で、明るく前向きに生きているんです」
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フィリピンの棚田(提供:コウケンテツ)
――「貧しさ=不幸」ではない……と?
「と言うより、裕福か貧しいか、幸せか不幸せかなんて、あくまで一方的なものの見方で、そのような価値観を超越した力強さをみんなが教えてくれたのです。ただ、サリーンちゃんに夢を聞いたら、『マニラの大学で勉強し、将来は冷房のきいた部屋でデスクワークをしたいの。でもそれは夢のまた夢ね』と少し寂しそうな笑顔で答えてくれました。お父さんと話すと、娘の気持ちは痛いほどわかっていた。『棚田を売れば子どもたちを大学に行かせてあげられるかもしれない。でも、先祖代々受け継いできた棚田を自分の代で手放すわけにはいかないんだ』と。苦悩と使命感と、そして家族を思う気持ちと……。お父さんの言葉に込み上げてくるものがありました。そして、たった数日間しか滞在していない僕を家族として受け入れてくれて、そんな心のうちを明かしてくれたことが、とてもうれしかった。今でも深く心に残っています」
――コウさんと言えば食。フィリピン旅で忘れられない味は。
「そのあたりの農家は米のほかにキャベツや白菜を栽培していて、豚も育てていました。彼らが毎日食べていたのが、ラードと野菜を大鍋に入れて薪の火でじっくり時間をかけて炒め、それを山の湧き水で炊いた米にぶっかけた一皿。このキャベツ炒めメシがもう、うまくてうまくて! コーディネーターさんに『毎日だと飽きるだろう』と食事に誘われたのですが、とんでもない! 毎日食べても毎日おいしいのです。お別れの日は、特別に干した豚肉を入れてくれて、それもしみじみとうまかった。その後、僕はいろんなところへ旅し、いろんなものを食べることになりますが、間違いなくこの一皿が『旅メシの原点』です」
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コウさんのアジアの旅メシの原点。キャベツ炒めメシ(撮影:キッチンミノル/提供:朝日新聞ボンマルシェ)
「なんであんなにおいしかったんだろう? フィリピンから戻りその理由を考えました。その地で採れるものをその地で食べる地産地消のぜいたくもありましたが、何より、あの温かい家族と一緒に食べるごはんだったからうまかったんだ――。そう気づきました。特別な技術や高価な食材がなくても、家族の食卓はそれでいい。当時まだ駆け出しの料理研究家だった僕が、これからどんな活動をして行くのか、料理に対してどんな思いを持って取り組むべきなのかという道しるべを作ってもらった出会いであり、料理研究家としての礎となった旅でした」
文化の違う人たちの日常に、おじゃまする
――ほかに衝撃を受けた旅メシは?
「山ほどあって選びきれませんが(笑)。東マレーシアの少数民族を訪ねる旅では、現地の青年に『最高においしい食材を取りに行こうぜ』と誘われ、沼地で朽ち果てていたヤシの木の皮をベリベリとはぐと、中に何かの幼虫がうごめいていました。竹の産地でもあり、この芋虫を竹に入れて蒸すのがスタンダードな調理法なのですが、その青年は『一番の食べ方を教えてやるよ』ととれたての芋虫を生のままパクッ! そして、澄んだ瞳で差し出され……。これは人として断れない! と、ありがたくいただきました。弾けるようななんとも言えないあの食感は忘れられません(笑)。ヤシの木に産み付けられているせいか、豆を蒸したときのような甘い香りがして、味はとてもおいしかった」
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芋虫を探す青年(提供:コウケンテツ)
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おもてなしの料理としていただいたのは、とれたての芋虫を竹筒で蒸したもの(提供:コウケンテツ)
――生の芋虫はすごいですね(笑)。躊躇(ちゅうちょ)しなかったのですか?
「ちょっとびっくりはしましたが、考えてみれば彼らにとっては芋虫を食べることは日常。日本の刺し身文化だって、外国の方にしてみたら『なんで魚を生で食べるんだ?』と、驚きの食べ方なわけで。自分の日常が違う文化の人たちには非日常だったりする。もちろん逆も同じです。文化の違う人たちの日常におじゃまする――。それが僕にとっての旅。何か特別なものやスピリチュアルなものを求めていくのではなく、彼らの日常を見せてもらう。すると、驚きや感動体験はもちろんですが、今の自分に必要なもの、足りないものが不思議と見えてくるのです」
――言葉が通じないこともある中で、人々の「日常」に溶け込み心が通じ合う。コツはあるのですか?
「一緒に市場などに行って食材を調達し、一緒に台所で料理し、同じものを一緒に食べる。僕の場合、それらの行為が一気に壁を取り払ってくれているように感じます。市場や家、そして台所には、地域性、文化、宗教、そして、どんな食材や調理道具を使って、どんな風に調理するのか、つまりその土地の人々の生活がすべて詰まっているのです。一気に理解できるし、打ち解けることもできる。食の力は本当に大きいと思います。あとは、当たり前ですが現地のみなさん、文化に感謝と敬意の気持ちを持って接すること。勇気を持って自分をさらけ出すこと、かなと思います」
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スリランカのヌワラエリヤの台所(提供:コウケンテツ)
リアルな旅にしかできない経験とは
――コロナ禍で以前のように旅に出られなくなりました。オンラインでどこでもなんでも見られるようになり「実際に現地に行かなくても旅はできる」という声も聞こえてきます。
「旅先でたくさんの美しい景色、素晴らしい建物、世界遺産にも登録される名所旧跡をたくさん見てきました。その場では『すごい!』と感動するんだけど、結構忘れちゃう(笑)。でも、その地で食べたもの、出会った人たち、その人たちがかけてくれた言葉は、ずっと覚えているんです。旅の楽しみ方は人それぞれなので、観光名所を回るのも何もせずにぼーっと過ごすのもいいと思います。でも、人、場所、空気、食とリアルに触れることが旅の醍醐味(だいごみ)だと僕は考えます。それは、リモートやバーチャルではできないかけがえのない経験です」
――以前のように自由に旅ができる日が戻ってきたら、どんな旅をしたいですか?
「仕事で行くことが多いので、いつも1〜2週間ほどのショートステイになってしまう。それでも現地の人たちと深いつながりができることに感謝しつつ、たとえば半年、1年、2年と、長い時間をかけてその地で暮らすような旅もいいな、と思っています。できたら家族も一緒に。子どもたちにも、日本で暮らしていたら体験できない『非日常な日常』の世界を見てもらいたい。もちろん僕自身も、まだまだたくさんの国の、人々の日常におじゃまして、一緒に台所に立ち、一緒にうまいものを食べたい。その日を心待ちにしています」
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紅茶の名産地、スリランカのヌアラエリヤにて。茶園でお茶摘みを手伝った(提供:コウケンテツ)
INFORMATION
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PROFILE
コウケンテツ
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